Dr.すてふの備忘録@岐阜

旅と、競馬と、時々医学。

【インド旅行記】5. アグラ(タージ・マハル)編 後編

気付けば、前回は移動と雑談しかなかったな(笑)
アグラのハイライトです。

「華麗なる愛の墓」タージ・マハル

メインゲートからついに入場です!
お出ましです!!
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めちゃくちゃ美しい。完璧なまでのシンメトリー。

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メインゲートを内側から撮りました。
上に小さなホイップクリームにつまようじがのったようなものが11個見えます。

これは、建築までに22年の月日を要したことを表しています。
(実は裏にもう一対あるのです。)

もう一度いきます。
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みとれてしまいます。惚れ惚れです。
中央のお姉さんもかなり美しかったです。

けっこう長い間ポージングされてました(笑)


ちょっとうんちく。
うんちくって感じだと蘊蓄と書くそうです。両方ともたくわえる意味があるそうで。

ほんとにうんちく。

タージ・マハルは、ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンの命によって
2万人の労働者により、22年の歳月をかけて造られました。

建設した理由は、「愛する妻が亡くなったのが耐えられなかった」から弔いとしてだそうな。
実は自分の墓も裏を流れるヤムナ川の対岸に作ろうとしてました。

真っ黒にしたかったそうで、幻のブラック・タージ・マハルといったとこでしょうか。

しかし、第6代皇帝(実の息子)が、やんちゃな息子だそうですが(笑)

「親父!タージ・マハルにどんだけ金と労力使ったと思ってんじゃボケい。
この期に及んで、お前の墓なんて誰が作らせるかい!」

ってことで、アグラ城(普段住んでいるとこ)の奥に、息子によって幽閉されてしまします。
かわいそうに。

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ストレス指数のトップは、配偶者の死です。幽閉されるのはTop10に入っていませんでした(笑)


2万人の労働者は、敷地内もしくは敷地のすぐ外に住まわせていました。
それもあり、現在も当時の労働者の子孫が、各々の分担ごとに常にタージ・マハルの改修をしているそうです。

約400年前から変わらぬ伝統的な手法が今もなお残っているのも、無形遺産といったところでしょうか。

ムガル帝国の栄枯盛衰」アグラ城

ムガル帝国の皇帝の屋敷、アグラ城です。

第3代皇帝、アクバルによって建てられました。
ムガル帝国イスラム教の王朝でしたが、当時のその地区にはヒンドゥー教徒が多くいました。
対立させるのではなく、うまく融和させるやり方として

ヒンドゥー教徒を妻に」したそうなんですね。

この賢いやり方で、一気にムガル帝国で治世したと言われてます。

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上がイスラム風の建築、下がヒンドゥ風の建築です。
アグラ城にも融和の歴史が残っていました。

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これはタージ・マハルでおなじみの第5代シャー・ジャハーンの屋敷です。
どんだけ白い大理石好きやねん!
白すぎて暮らすには落ち着かない印象でした。

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アグラ城からタージ・マハルが見えます。
シャー・ジャハーンの晩年はここで幽閉されていました。

ブラック・タージ・マハルのはずが・・・

タージ・マハルの裏のヤムナ川を挟んだところの、ブラック・タージ・マハル建設予定地にも行きました。
現在は、庭園があります。建築の基礎の部分は、保存されています。

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裏から見たタージ・マハルなんです。

インド人は写真がお好き

ガイドのアトゥーさんのカメラワークはプロでした(笑)
いやほんとにいろいろ写真を撮ってもらってすごくありがたかったんだけど、

やっぱり聞くとインド人は写真が好きだと言ってました。写真を撮るのも映るのも。
僕はiPhone11に替えたばっかりで、アトゥーさん、すごく楽しそうに使いこなしてました。

日本でもインド人を見かけたら、写真を撮ってみてはいかがでしょう。


次回はデリー編、総集編になります。